キャンピングカー製作 −はじまり−

私は50歳へのカウントダウンが始まっている人間です。
残された時間は本当に心から楽しいことをしないと、このまま人生がイマイチで終わってしまうのではないのか…と思う今日この頃です。

50歳で『残りの人生』などと言うのは大袈裟では?

と思われるかもしれません。
しかし50にもなると1度くらい本当に死にかける体験をしているものです。
そうすると間違い無くこの助かった命をどう使おうか、と考え始める。
10年なのか、20年なのか、残された時間のことを考えます。

若いうちはまだ『心から楽しいこと』などと力まなくてもいいかもしれません。

「そこまで興味は無いんだけどな…」
ということも、その趣味を仲間と共有出来れば結構楽しい。
やっぱり違ったな…と思ってもいい。何事も経験だし。

でも歳を取ると流行っていて楽しそうとか、カッコイイからと言って始めたことが、やっぱり自分にとってはそれほど重要では無かった、などと気づくと

「おれ、何をやってるんだろう…」

と、虚しい気持ちになる。
一方で、仕事ばかりして、それが楽しい楽しいと自己暗示をかけ続けるのも気力がいります。(仕事が楽しいというのは本当なのですが…)

でもその仕事がいくら楽しいといっても、コテンパンにやられて立ち直れない時もある。
自信を持って作ったデザインがとんでもないものに修正されたりとか(もちろん打ち合わせ不足、実力不足の自分が悪い)、仕事をガンガンやっているのに、家族からの評価が低いんじゃないかと思ったり(まぁそれを言っちゃうと卑屈)。
そんな時に、

 「おまえだけは分かってくれるよなぁ」

という対象物が欲しくなる。本当に心から楽しいと思えることがしたくなる。

言い訳無しで、自分に嘘が無く、本当に楽しいことをしよう。

では、本当に楽しいことって何?と思いますけど、実は自分の身体がよく知っていますよね。
そのことを想像するだけでワクワクする。
身体が、(具体的に言うと、自分の場合は腰のあたりが)そわそわ、ゾクゾクとして鳥肌が立つような感じがする。
時間を忘れて没頭出来る。
そしてここが重要なのだけど、それは

人になんと思われても構わない。

というところ。
自分のための趣味なのに、どこか人のウケを狙うところがあるからおかしな事になる。
人からの評価は要らない、と腹をくくることが出来れば、もう自由です。
人に迷惑をかけず、不快な思いもさせないのであれば何をしてもいい。

そりゃ誰かに共感してもらえたら嬉しい。
でも、とことん自分の価値観を掘り下げて実践したその先に、数人だけ

「おもしろいですね〜」

とか言ってくれたらそれだけで十分。
そこで…

キャンピングカーを買うことにしました。

そう。キャンピングカーを買うことにしました。
私のそわそわ、ゾクゾクはキャンピングカーです。

2020年まで5年間滞在していたニュージーランドでキャンピングカーを保有していたのですが、すっかりその魅力にはまってしまったのでした。

日常生活で何かずれてきているな…と感じたら、キャンピングカーに入って自分の世界を取り戻すことが出来る。なんならそのまま旅に出られる。
旅先でも誰にも邪魔をされずに時間を過ごすことが出来る。

そこで妻に話したんです。またキャンピングカーが欲しいと。
ニュージーランドではあんなに楽しかったじゃないかと。
そしたら1秒も待たずに

「そんなお金はない」

その通りです。

10年近く家族で好き勝手に移住を繰り返したせいで、我が家にはお金がありません。
貯金はしていますが、まずは定住のための家が優先される。

安いキャンピングカーだってあるかもしれない。
でも、一度キャンピングカーを所有してしまうと目が肥えてしまって、ある程度のグレードで無ければ満足が出来なくなってしまっている。

で、しょんぼりしていると、ある日妻が言うのです。

「キャンピングカー、買ってもイイヨ」
なんと、買ってもいい?!

「但しな…」
ただしぃ?

自分で作れ

とのことです。

次回は妻の許しが出た理由についてお話します。

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